のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

野太くあるためにかくあれ

家族の悩みは尽きなく、一番重いのは一人目が生まれてから産後すぐから抱えたものだった。正直、生まれた長男と旦那とだけで過ごして、それだけ向き合う生活だったら、赤ちゃんのことだけ考えられたらみたいなことを思わなくもなかった。ただでさえ子供が生まれたら精神的に不安定になるっていうのに、と。

 

もう上の子は8歳、下の子は5歳になる年にもなったからそんな変えようもない環境の恨み節をいったってしょうがない。よくぞ今まで強く野太くやってきたもんだ。

すべてが忙しくて、正直メンタル維持のために何かしないと本当にやべえと思ったりもしたのが昨年の10月ごろから。そこでやったのは、SNSの削除(鍵垢ツイッターは残)。目に入る情報を減らして、考えるべきことを絞った。すごくよかった。ただ、友人らにはアイツいないけどどうしたんだ? と思われた。個別に連絡がき、「疲れすぎてやばくて消した」といえば、「ああわかる」と納得してもらえた。はっきり言ってその状況と精神的に健全じゃないのはわかる。わかっているけど健全じゃなくたってこれ飲んだらすぐ治るぜなんてものは存在してない。時間をかけて向き合っていくしかない。SNSにしか繋がりがない友人には申し訳ないが、まあ用があれば辿って連絡が来るだろう。

そんなことをしつつ、同じように忙しく働く友人と傷のなめあいはしてる。辛い、きつい、しんどい、体調やばい、月曜日はクソ、夢で仕事してたクソ。これが言える人がいるだけで本当に頑張れる。

頑張れるんだけども、色々な山と谷を越えてもなお、時折やばい辛く不安気持ちにかられるのが、人生。

 

またやばいなと思って、大体そういう時は映画と本と音楽の好きなものを好きなように観て読んで聴いてとしてて、今回選んだのは『男はつらいよ』だった。

大概見る映画はドンパチしてたりの私、昨年見た映画で一番面白かったのは『ブルータルジャスティス』というハードなクライム映画だったのに、今求めていたのはそれだった。

奇しくも土手は家から近く、柴又も距離としては近いので馴染みが深い。映画も今まで何本も観たものだったけど、急に心がそれを選んだ。

 

昼休み、さもしい自分で作った弁当をパカっとあけて、イヤホンを耳にしてスマホの小さな画面で観る。様式美のような喧嘩があり、寅さんが出て行って、きれいな女優のヒロインが出てきて、寅さんに会わせちゃまずいとみんなで話してたらばったり寅さん帰ってきちゃって、また喧嘩して。

口汚い喧嘩は今となってはダメなんだろう。怒号だってあるし、手も出てる。ジェンダーにも引っかかりそう。それを止めて泣く、おばちゃんや妹。なんてことがあっても、最後丸く収まって大団円。

何かを見て泣くことが私にとって結構レアだったりするのに、この日は昼休憩中に涙がボロボロ出てきた。鼻水も出るし、会社の席だし、泣いちゃう自分にも笑える。でもすごい泣けた。

そのあとも何作か適当に見続けて、今日もまた昼にみた。帰り道に大団円を迎える予定。

何がこんなに響いたのかなと考えた。何なら救われた気持ちだった。

そして気が付いたが、理由は家族の様子なのだとわかった。家族が喧嘩したっていい。ムカつくこと、言いたくなること、否定したくなること、そういう負の気持ちをもつこと自体を、どうして私は自分の思い通りにならないからと自分の家族にそう思ってしまうのだろうとずっと自責していたのを、このドタバタ劇で、別にいいかと思えた。そうだいいのだ、といって攻撃するのは別の話なのは忘れないで、自責の念を持ちすぎていてはいかん、と。

お金がなくてもいい(いいってこたないが)、社会的地位も固執しすぎなくていい、欠点があってもいい、辛くたってもいい。歳を取って観て、そんな気持ちになるとは若いところには思いもよらなかったことだ。

同時期、大好きなアーティストが女性だけで映った写真で長い英文で互いに讃えあう投稿をしているのを見る。その中の一文「imperfect perfection....」。それもいい言葉だと噛み締めた。

 

いうてまた同じようにつらい! となるのはわかっているけど、また一つ野太くなれたことを吐き出したかった。

自分自身で納得してそれでいいという裏付けが欲しくて、それに気が付いて救われた、日記。