のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

大きな大きな別れの果て

 母が死んだ。あれちょっとおかしいと思った矢先に、あっという間に旅立ってしまった。

 今までの日常が日常じゃなくなった、と、文字に起こすのは簡単で、亡くなってから四十九日までの間の怒涛さは、筆舌に尽くしがたく。親の、さらには母親の死は結構重く、仲が良い方ではなかったら(といってもすごく悪いわけでもなく)結構ドライに受け止めたりするかなと昔思ったりしたけど、そんなことはなかった。喧嘩もして、言い争いも、衝突もめちゃくちゃした相手だけど、まごうことなく、私は母を愛していたんだなと痛感した。全然立ち直れていない。悲しい気持ちの先に苦しくなることがあるのだ、と今回初めて知った。

 死と向き合って悲しんでいるだけで済むこともなく、葬儀の手配、銀行預金、カードローン、年金、生命保険、相続、名義変更。人の死に際して発生することのめんどくさいことたるや。

 私以外の家族は、こういう手続きについて一切不向き(父は喪失感により何もできない)だから一手に引き受けて、たまたま仕事は激務の真っ最中で、たまたま子供の習い事でも試合続きで、やばいほどに多種多様にタスクの坩堝に入り込んで半端ない。

 戒名代金って高いのね? ご先祖と合わせる位牌って葬式代金に含まれてないのね? 火葬場が混みあって葬式があげられないとかあるんだね? 火葬代金は自治体によって違って場所によってはめっちゃ高いね? もう待機が長かったのでいろんな情報をピックアップすることが多かった。

 笑い話は結構あるものの、気持ちは辛い。

 子供たち、旦那、家族、親戚、友人のお悔やみと心に寄り添ってくれることが本当に助けになり、時がとにかく癒してくれると。今回のことで思ったけど、大丈夫? と聞かれたら、大丈夫だよと答えるのはやめた。全然大丈夫じゃないし、気持ちにうそをつく小さなこの返答ですら無理している感覚で、小さなことの負担をとにかく減らした。SNSも全部やめてしまった。

 まだまだ時間はかかる。毎日に慣れることで精いっぱいで、こんな状況で仕事はここ10年ぶりくらいのすごく忙しい。倒れないことだけ、母というものは絶対的に倒れてはいけないし、元気でなければいけない。長生きもしなければならない。父も兄も旦那も看取らなければならない。

母の死から打ちのめされる父を見て、そう思う日々。

振り返ればほっこりする思い出がいる

つらつらと書いてるコレもちょっと整理しようと非公開にしたりするのに見返して、ああ、こんなことあったな! にたくさん触れた。長男のアレコレ、次男のバブバブ。その当時はかわいかったり腹立ったり大変だったりで、一生忘れないんだろうなって思っていたのに、きれいに抜けていた。ぞっとする。加齢のせいか、日々の忙しさからか……。

時同じくして、寝る前に昔の動画を家族で見ることが多い。見ると、死んでしまった犬たちとわが子たちが何気なく一緒に映っていたり、喧嘩をすることもなく小さなわが子たちが団子のようにくっついていたり、ちょっとずつ喧嘩し始めたころだったり、それを見てげらげらと次男は笑い、長男は舌足らずな子供っぽい自分に恥ずかしくなったり。

この感情は言語化しにくい。心が穏やかになる、温まる、胸に響く、それらは言い過ぎのようなそうでもないような。

冷静にこういう風にいろんな思い出が重なっていっていくんだなと、しみじみとする。

だのに、この穏やかな心は、結局日常の大変さに埋もれて、余裕がなくなり怒るし不満にまみれる。人生ってやつは嗚呼嗚呼。

 

忙しいね、と友達と語らう。若さゆえの無謀をしてきた私の思い出も、振り返ると眩しさにあふれている。あの時はあの時で、人生に嘆いて、明日への不安ばかりあったのに。

何故、年配のおばちゃんたちが連れ立って旅行に行っているのか最近わかった。

子育てとか家のこととか落ち着いたら、そういうことをしたくなるんだと。だから立派なおばちゃんになったらハトのバスツアーとか気ままな列車旅をしようと誘った。その時はその時で今よりも重い(体とか寿命とか子供とか家のこととか)悩みを抱えていそうだけど、いいじゃないか。どうせいつだって、悩んで生きてる。

あー何も気にしないで旅行いきてー。

夏が来た

子供たちが夏に大好きなもの、水面がキラキラと輝くプール。その中でも市民プールが開いたため、連休のど真ん中に行った。

時代の流れに沿って予約制(&入れ替え制)になったので芋洗い状態が避けられるかなと、とりあえず先週のはじめに予約を完了。

この連休、習い事1日休ませるのはどうかな~と思っていた矢先、ついにストレスで私の体の全身蕁麻疹が出るということになったので、私も休もうという気持ちを含めて決行を決定。

家でプールもいい。けど、汗だくで準備して、水道代爆上がりさせて、片付けも面倒くさくてと気乗りしないこと山の如し。終わったらシャワーすぐ浴びれるし楽なのはわかる。いいんだよ、いいんだけどね。あまりにも今の私はそこを頑張れる体力が無い。

 

最後の市民プールは長男が年少さんくらいだったろうか。まだ小さい息子の日焼けが怖くて、ラッシュガード着せるかどうかとか、病気もらったらどうしようとかそんなことにビクビクしつつ、私は妊娠中で遊んだような。しかもラッシュガード着せてたら水で冷えて唇真っ青になったので1時間で終了(もう記憶がおぼろげ)。

その時の「もう少し大きくなたら楽しいかもね」をいよいよ実現するときがきた。前々日の夜、「日曜日、プール行くよ」というとウキウキした二人。前日の土曜日、仕事から帰ると、旦那と長男でプール行く準備を完了させて、寝る前も「楽しみで寝れない!!」となかなか寝付かなかった。

1週間の労働の疲れを感じつつ目が覚めたのは朝5時。沁みついた体内時計に感心しつつ、ゆとりある朝を過ごそうとゆっくり掃除と家事をして、牛乳がないからコンビニに行ったの6時過ぎ。ジュースも買って帰ったら、頭には水泳帽、下半身は水着姿の二人がソファの上でじゃれあってた。出発予定は8時過ぎで、「ねえ、まだー?」「まだいかないのー?」を連発する5分後の未来が見えて、その時私はすこしゲッソリとする。そういう未来は確実に合っているのが現実で、案の定、7時前から「はやくはやく」でせっつく二人で、早く着いたら車で待つかと予定を30分早めて出発!

 

午前中のプールの温度は冷たくて気持ちがよかった。テンション上がった私は、潜ったり長男と泳いだり、次男と浮いたり『THE 夏!』を体感できた。

水泳教室に通わせようかな~と思いつつやらずにきた二人。長男は小学校で本格的なプール初体験だったけど、2年生になってケノビやバタ足ができるようになった。それを披露してくれ、あんまり上手じゃないのすら微笑ましいなと思える(途中から教えるようにしたら少しうまくなった)。次男は水遊び大好き!! を全面に押し出して楽しんでいた。

入れ替え制の良いところは、もう終わりだから帰るよで引き上げられることだろう。まだ入りたいの連呼もあったけど、「終わりなものは終わり」これで納得もできるのだから(でも案の定ごねたため3度くらい怒った)。

その日は更なる予定を組んでいたので、久しぶりに夜までたくさん遊べた。

本当なら夏休み中、平日とか連れて行ってあげられたらいいんだけど、それはまあ無理ということで……。

 

プールを後に、浮き輪を腰につけたまま上半身裸で車に戻るたくましい子供たちの背中をみて、しみじみとああ、夏が来たなあと感じ入る。今年も美白は大失敗してすでに真っ黒に日焼けしているけど、まあいっかと思えた夏の1日だった。