のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

濃いウーロンハイの夜

長男を妊娠出産して以来、お酒を飲む機会はあれど、昔散々した深酒をすることはなかった。子供らは朝が早いし二日酔いは辛い、と自制をしていたから。それに旦那が忙しいとそもそも飲みに行くことはできないし、旦那は年間ほとんどが忙しい。でも繁忙期を抜けたいま、余裕があるというので急遽、近所で中高の友人と呑もう、となった。友人の子供はもう小学生、長男が産まれるときには多大なアドバイスやお下がりをたんともらい、頼れるパイセンママ。酒も強く飲める。

軽く飲みながら食べよう、と話していたが、だいたいが酒飲みの二人。ビールだけだと酔わないよね、とスタート時に言うも、3杯目くらいから友人はレモンハイにいく。わたしも大好きなウーロンハイにチェンジ。そのお店は友人がたまに手伝いをするお店なので、友人自ら作ってくれる。ジョッキにパンパンの色の薄いウーロンハイをテーブルに持ってきた。濃い。酒飲みの作るウーロンハイは濃いあるあるネタを久しぶりに実感する。

濃すぎるだろ!と、ゲラゲラと黄色い声とは逆の笑い声わ響かせて呑む。濃いウーロンハイ。酔うやつだ。が、カラオケ屋のあの焼酎の味はしない。焼酎がうまいね、というと、友人はドヤ顔で「宝焼酎だからね」。それにも大笑いする。

そこからというものどんどんヒートアップしていき、杯を重ねる。無限に飲めるんじゃないか?というくらい飲めてしまい、何杯飲んだか覚えていないが、10より少し少ない程度だろう。

美味しいご飯、友人と濃いウーロンハイを飲み、色気のない笑い声を響かせ、常連のおじさんたちと地元の話をする。最近の辛い話、笑い話、昔話、あれもこれも尽きない。仕事も楽しんでいる友人と、人生一度きりだから好きなことをやろうと語り合う。気がつけば11時半。お互いこの時間はもういつもなら寝ている時間、心は出会った16歳の頃と同じだが、身体は40近い。無理だ、もう目が開かない、帰ろう、と、これまた子供の頃と同じように友人のお母さんが迎えに来て送ってくれ、気持ちのいい夜だった。なかなかこういう深酒はできなくなってしまったが年に1、2回はこうやっていろいろ忘れて飲みたいなあ。

翌朝、6時に起こされる。昔話毎度あった二日酔いはない。

恐るべし宝焼酎

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まだこの時点では9時には帰ろうかなと思っていた

レターは突然に

寒い朝は子供達もなかなか起きず、私も布団王国から抜け出すことができず、ただでさえ慌ただしい朝がさらにバタバタになる冬の朝。しっちゃかめっちゃかに準備して早くジャンバー着ろ、靴を早く履いて! と急かしている時、長男が「○○くんにお手紙書く」と言い出した。お手紙? 今? なんで? と疑問符がたくさん浮かぶも、あまり保育園でのお友達のお話を聞かせてくれない(というか保育園では個人個人で遊ぶことが多いらしい)とのことで、定番の“無碍にできないシリーズ”だと思い、一緒にまず紙を探すことに。ない、ない、ない。子供用のレターセット、ない。機嫌が悪くなりそうな気配がしてくるので、時計をチラ見しつつ頭をフル回転し、おりがみだ! と閃いた。

 

おりがみボックスを漁ると綺麗なものが無い。折れてる、絵がかいてあるなどで奇跡的にましなおりがみをとって何をかく?と聞いた。「らいしゅういけるといいね」。なんのことだかわからないし、主語を聞き出そうとしても的を得ない。いつもなら予測するためにあれこれ質問するが時間は無常にも過ぎていく。ピタゴラスイッチが終わった音が聞こえた。焦る母。

 

ええい、ままよ。と思いとりあえずいう通りそれだけを書き、差出人宛名を書いた。するとどうだろう、これを渡さなきゃ! と急いでジャンバーを着て、靴を履くでは無いか。今は無理! と拒否しなくてよかった、と、ノリノリで保育園に行く息子を見てつくづく思った。

とりあえず書いたけど自分ではいこれ、って渡せるのか? と思って聞いてみると、もじもじし出したので、登園時に先生に相談したら、一緒に渡してくれる、とのこと。ありがたい。書いてある内容は全く意味がわからないので、お友達に(というかお友達のママに)伝えてもらえれば・・・と恐縮しながら伝えた。ミッションはとりあえず完了。

 

なんで急にお手紙なんだろうか。他のお友達がやっているの?と聞くとそうでも無い。あくまで予想だけど、たぶん上のクラスの女の子あたりがやっているを見て、オレ(最近オレと言い出した)もやろうと思ったのか。先生に後日聞くと、特にいつも一緒に遊んでいるような感じじゃないんですよね・・・・・・。ますます深まる疑問。ただたんにそのお友達が好きだということか? 友人に聞くとお手紙ブームは突然来て突然終わる。とのこと。成長を感じるしまあいいか、と思いつつ、せっかくだから冬休み中にでも便箋と筆記用具でも買いに行こう。

 

願わくば、朝出る時に描こうとするのは勘弁してもらいたいのは母の心。

 

 

 

30代後半の転職活動と20代の思い出

書類選考に20件ほど落ちて、良さそうな会社に直接連絡しても面接にすら辿り着かないアラフォー子持ちの転職活動。以前、転職したときは、いくつか面接したりしつつ落ちる、という感じであったが書類選考にすら通らないというのはなかなか初めてだった。まだだ・・・・・・まだ時間はある・・・まだあわてるような時間じゃないとSDの仙道よろしく諦めたらあかんと、続けていった。

 

前職の先輩や同僚から色々現状などをリサーチし、お前の経歴では希望の採用は残念ながらないぜ!の如く全く鳴かず飛ばずだったら前職で頑張ろう、と思っていた矢先に面接の連絡が入り、無事に次の働く場所が決まった。決まった後も直前までどっちで働くかを迷った。資格の勉強しながら新しい道に進むか、勝手知ったる皆と一丸となって働くか。大いに迷って、新しい道にチャレンジしていくことにした。

 

20代前半のころ、皆が就職していく中、私はフリーターの道を歩んでいった。ささやかながらもやりたいことがあり、若者特有というか青い心でやりたいことしかやらないんだ!という甘酸っぱい精神で、3つのバイトを掛け持ちしながら、希望の職種で働くために1社ずつ、「募集していませんか?」と電話をかけまくるという荒技。企業にしたら、邪魔な電話でしかない。でも必死だった。いつきまるともわからない不安、周りはしっかり社会人として働いていたことの劣等感、これでいいのかという疑問、いろんな思いを抱えて、働いた金は毎週飲み歩くお酒に消えつつ、当時再放送していた「不思議の海のナディア」のエンディング曲を聴いて泣いたり、THE BLUE HEARTSの「ロクデナシ」を聴いて奮い立たせたりしながら縁あって1社に就職。必死に掴んだ会社は後に世間で認識されるような“ブラック企業”というやつだった。そこでも「ロクデナシ」を聴きながら歯を食いしばって、安い給料はまた飲み歩いて消えていったがやりたいことができていた幸せは確かにあった。

 

2020年も元気やる気井脇!精神で頑張るぞ!