私の誕生日を迎え、お互いに休みを取って旦那と恒例のデートへ。恒例にしていたつもりもないけどなんだかんだそういう風になっているのが長年一緒にいる流れなんだろう。数日前、誕生日のケーキを取りに行くときに「もう15回も誕生日を迎えているな。お互い老けたな〜」と旦那は破顔一笑。結婚は遅かったけど一緒に居るようになって15年! ずいぶんとまあ、一度も離れることも無いまま共に月日を経たもんだなとお互い仕事で疲労で脂ぎった顔で笑い合った。
15回中、お金がなくてプレゼントやケーキが無い歳も何度かあったし、お互い浮き沈みでスランプに突入していた辛い辛い時期もあったし、移動の車内はあれこれ思い出して語りあう。そのなかでも、思い出話もお互い思い出せない事も増えたり。ささやかな日常の話もこうやって忘れてしまったりするんだろう。そして、普段は子どもの話しかしていないからか、お互いの話も多い。
そして歳を重ねたからか昔の事が眩しく思えたりもする。二人で飼っていた愛犬も今は旅立って、あのもう会えない愛くるしい姿、かわいかったよね。とか、あの狭いアパートの暮らしも嫌いじゃ無かったとか。お義母さんが送ってくれたジャガイモしまいきれなくてシンクの下においておいたら黒いアイツらの巣になってしまいとんでもないことになったりとか、それすらも眩しい。20代前半の若い頃に思い描いた38歳のがどうかというと、あの頃は家庭を築いているとは思ってもいなかったように思うから人生はあれこれ夢想して思い描きすぎない方がいいんだろうなと思った。理想を掲げすぎたら縛りすぎて苦しくなるのがよくある。
新居のサブリビングに置きたいという家具を見に行った。アンティークの家具は値が張るものの旦那の好みに追随するのは全く苦ではない。多分シンプルな家にはならなそうだ。あれこれがちゃがちゃと好みが詰まってしまいそうだけどそれはまた私達らしくていい気がする。私は壁の色をビビットな色にしたい。
お昼ご飯にヒーヒーいいながら辛い中華を食べ、重いお腹を引きずりながら帰路につく。プレゼントのコートも重いがそこは嬉しい重さ。
ホクホクした気持ちになったのも束の間、私はその夜、長男の地雷を踏みまくってカレーが食べたいという(夜はさんまだった)大泣きからのおかあさん嫌いのプレゼントもいただきああ、無情。と思いながら長男の分のさんまをお腹に詰めた。これもまた、日常。楽しい思い出と思おうと言い聞かせて1日の締めくくった。