のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

脱毛器狂騒曲

38年とちょっと生きてきて初めて脱毛器を買った。脱毛エステとかそういった類を結婚前に済ませておけばよかったと、独身の時ちゃんと通ってメンテナンスしていた友人たちを見てずーっと後悔していたムダ毛問題ともこれにておさらばだ。ムダ毛にうるさい旦那にもあれこれ言われなくて済む。

家電量販店のHPを見てどれがいいんだろうと睨めっこをする。安いものはちょっと怖いなあと思いつつ17,000円のものを買った。本当なら店頭で調べたいけれども、まだまだ買い物でぶらぶらという気にもならないから、ただただ、(とっても飽きていた)仕事を中断して、画面からの情報で頭を悩ませた。レビューも申し分なさそうだし、企業CMや商品説明でとりあえず納得した。

 

さすがはヨドバシカメラ、あっという間に商品が届きウキウキしながら、いつもよりも早い時間にお風呂にいれ、早く洗って終わらせる。子供らを着替えさせてお風呂場にカムバックしてウキウキしながらスイッチを入れる。ガガガガガという振動音、結構な音量だ。どれどれ脛から試そうかな・・・・・・痛い!なんだこれは!いってえ!あまりの痛さにびっくりしつつ機械の音よりもでかい声が出る。ドン引きだ。こんなに痛いの?完全に物理攻撃じゃないか。CMとかすごい優雅にすね毛とか抜いているのに、なんだこれは・・・・・・。ドン引きしててもしょうがない、これは17,000円。やらないわけにはいかない。気合を入れなおして物理攻撃に耐える。ただただ耐える。説明書に書いてあった。やった場所は赤くなると。レビューには某メーカーよりは痛くない、と書いてあった。これより痛いメーカーのやつがあるのかよ、驚きすぎる。

脛、膝、脇を経てもう心が折れ、4週間は毛が生えてこないということを信じて終わった。すべすべになったのを旦那に見せると、「うわ肌真っ赤」すべすべの感想を言え!

痛いよこれ、という感想を添えて商品を見せた後日。胸毛を抜いている旦那を見たので、これを使ってみる?と勧めてみるといいの?という反応。少し(大嘘)痛いよっていってお風呂で貸した。響く悲鳴。そして、鬼のような険しい顔。痛くてドン引きしたよう。そうだろう、そうだろうとそれを満足気にみる私。つるつるになるも真っ赤っかになった肌に大笑い。お肌つるつるは痛みの代償なのだ。

毛を気にして腕をあげなくていい。少し肌は赤いけど。なによりも、女性の苦労がわかったかい、とあれこれ言う旦那に経験させられて、痛快な気分だった。

 

 

 

 

 

9年勤めた会社からの旅立ち

てんてこ舞いな日々を過ごして、気が付けば新しい会社での試用期間もあと少し。前の業種とは全く違う、部署も違う、新しいことへのチャレンジという意欲と緊張にまみれて過ごしたこの数か月間は、新型ウィルスのことも私生活のこともたくさんの変革

の時期でほとんど余裕がない数か月だった。前の会社を懐かしむ余裕もなく、慣れること、やることをやれ、とひたすら自分に言い続けた日々。余裕がなさ過ぎて自分の好きな推しに萌える(古)こともなくてこれはやべえなあと思っているも、ただただ今は邁進するのみと思って過ごした。持ち帰ってきた書類、本、などを整理も先日ようやくできた。


2011年の年に人からの紹介で転職して入った会社で、この時も異業種からの転職。30歳で未知の編集業。たくさん失敗して、たくさん怒られて、たくさん走って汗をかいて、たくさん同僚と励ましあって、たくさん愚痴りあった。


本当に学んだことが多くて、何よりも厳しいけど温かい社長と先輩と同僚たちとに囲まれ、本当に知らない世界をたくさん見ることができた。審美眼が磨かれるはずが、その辺はあんまり変わってない気がするけど。


初めて取材にいったときのことは今でも覚えているし、全然仕事ができなくて泣き言を言いながら会社に残ってピザを食べたりして、自宅に帰ってやるぞと意気込むも机の上で寝落ちして、絶望の気持ちで朝を迎えたりしたこともあった。提出したものはさんざんなもので、ダメ出しの嵐。四苦八苦しながら出来上がったものの喜びは、今までに経験したことのない喜びだった。


本当にたくさん怒られたし、呆れられたりもした。ヤバいミスもした。ヤバいミスが発覚したと時はいつも、怒りつつも、このミスを発見できなかったのは全て自分社長の責任だから、今後はみんなが気をつけるように。と勤めて冷静に言い、守ってくれた。ピンチの時こそ厳しくも優しさの極地で、ミスしたどん底の気持ちの中でも、ここにいたいと思って、踏ん張った気がする。


下請けのくやしさもたくさん味わった。なにくそ、という思いをもって、笑ってのらりくらりやり過ごした。人というのはここまで非道なのか、と思うこともあって、こういう人間にはなるまい、そう心に強く誓ったもんだった。


出産を機に内勤だけになって、みんなが働きやすい環境にできるようなんでもやろうと思った。そこであらたに自分がやりたい道を少し見つけるチャンスがあったことは今後の人生においてもかなり重要だったように思う。まだ結果は出せてないけど、長い目で見て、やりましたよ!って、仲間たちに報告ができるようにやるんだ、って思っている。


やめてからもライングループは定期的に音が鳴る。あれがこうだ、ああだと、昔のように。

寂しい気持ちはあるけれども、ようやく少し落ち着いてそんな日々を懐かしむ。自粛が終わればまた杯を重ねて近況報告して、元気であることを喜び合いたいなあ。

 

f:id:stimpy0106:20200512164519j:plain

捨てられずにいるノートたち

 

自粛と葛藤とストレスと決意と

あれよあれよと怖いムードに進んでいく令和2年の春。次男の慣らし保育、などと言うのももはや懐かしい。宣言が出てから保育園は2人とも自粛。Netflixやおもちゃ、ストライダー、石ころ集め、などでなんとか4月ももう後半まできた。朝子供達が起きる前に仕事に行き7時半前から始業して夕方前に退勤。仕事を調整して週3、4勤務。日中はおじいちゃん、おばあちゃんに見てもらう。大変だろうが、かなり、助かってる。ここ数週間はいろんな葛藤で苦しく余裕がなかった。

どんな時もこの業種は必要なものだから食いっぱぐれないかなと思い昨年12月に転職を決めた仕事場は、こんな時も営業が許されたものだ。葛藤した。コロナのニュースは毎日毎日、ネットやTwitterで目にする。不安になる。自粛して協力して、自分も家に篭りたい。テレワークももちろん会社は対応を考えたが、総務や経理が家でできるだろうか。いや、今からシステム化は難しすぎる。できる人ももちろんいるからその人たちだけでもテレワークで対応するしかない、会社も毎日逡巡しながらも対応策を打ち出し、とにかく気をつけて時差出勤で身を守り人を守るしかないと納得して、やるしかないと、鬱々とした気持ちで過ごす。

家族みんなで協力し合うも、例にも漏れず、ストレスから喧嘩も増える。特に大人。そんな中明るいのが子供達。息子たちの明るさ。ピカピカブーをオナラとウンチの替え歌にしてふざける長男、何故か寝る前になるとオムツとパジャマを脱いでフルチンになる次男、二人で布団の中に隠れてふざけて笑い合い、お風呂では空のペットボトルをしこたま入れてふざけたり、彼らは暇なし。泣いたり喚いたり喧嘩したりもかなり多くて怒りスイッチも入るが、くっだらない笑いを思い出させてくれる。

友達とも明るい話題もなかなかでない。みんなしんどいなかギリギリのところでやっている。

野村克也追悼本を読んだ。野村さんが南海ホークスと揉めて窮地の時、サッチーは「なんとかなるわよ!」とはっぱをかけたと。そして、なんとかなったと。なんとかなった、というかなんとかしたんだろうけど、敬愛するこのご夫婦の特にサッチーの精神で家族にはっぱをかけて頑張っていくのだ。