振り返ればほっこりする思い出がいる
つらつらと書いてるコレもちょっと整理しようと非公開にしたりするのに見返して、ああ、こんなことあったな! にたくさん触れた。長男のアレコレ、次男のバブバブ。その当時はかわいかったり腹立ったり大変だったりで、一生忘れないんだろうなって思っていたのに、きれいに抜けていた。ぞっとする。加齢のせいか、日々の忙しさからか……。
時同じくして、寝る前に昔の動画を家族で見ることが多い。見ると、死んでしまった犬たちとわが子たちが何気なく一緒に映っていたり、喧嘩をすることもなく小さなわが子たちが団子のようにくっついていたり、ちょっとずつ喧嘩し始めたころだったり、それを見てげらげらと次男は笑い、長男は舌足らずな子供っぽい自分に恥ずかしくなったり。
この感情は言語化しにくい。心が穏やかになる、温まる、胸に響く、それらは言い過ぎのようなそうでもないような。
冷静にこういう風にいろんな思い出が重なっていっていくんだなと、しみじみとする。
だのに、この穏やかな心は、結局日常の大変さに埋もれて、余裕がなくなり怒るし不満にまみれる。人生ってやつは嗚呼嗚呼。
忙しいね、と友達と語らう。若さゆえの無謀をしてきた私の思い出も、振り返ると眩しさにあふれている。あの時はあの時で、人生に嘆いて、明日への不安ばかりあったのに。
何故、年配のおばちゃんたちが連れ立って旅行に行っているのか最近わかった。
子育てとか家のこととか落ち着いたら、そういうことをしたくなるんだと。だから立派なおばちゃんになったらハトのバスツアーとか気ままな列車旅をしようと誘った。その時はその時で今よりも重い(体とか寿命とか子供とか家のこととか)悩みを抱えていそうだけど、いいじゃないか。どうせいつだって、悩んで生きてる。
あー何も気にしないで旅行いきてー。
夏が来た
子供たちが夏に大好きなもの、水面がキラキラと輝くプール。その中でも市民プールが開いたため、連休のど真ん中に行った。
時代の流れに沿って予約制(&入れ替え制)になったので芋洗い状態が避けられるかなと、とりあえず先週のはじめに予約を完了。
この連休、習い事1日休ませるのはどうかな~と思っていた矢先、ついにストレスで私の体の全身蕁麻疹が出るということになったので、私も休もうという気持ちを含めて決行を決定。
家でプールもいい。けど、汗だくで準備して、水道代爆上がりさせて、片付けも面倒くさくてと気乗りしないこと山の如し。終わったらシャワーすぐ浴びれるし楽なのはわかる。いいんだよ、いいんだけどね。あまりにも今の私はそこを頑張れる体力が無い。
最後の市民プールは長男が年少さんくらいだったろうか。まだ小さい息子の日焼けが怖くて、ラッシュガード着せるかどうかとか、病気もらったらどうしようとかそんなことにビクビクしつつ、私は妊娠中で遊んだような。しかもラッシュガード着せてたら水で冷えて唇真っ青になったので1時間で終了(もう記憶がおぼろげ)。
その時の「もう少し大きくなたら楽しいかもね」をいよいよ実現するときがきた。前々日の夜、「日曜日、プール行くよ」というとウキウキした二人。前日の土曜日、仕事から帰ると、旦那と長男でプール行く準備を完了させて、寝る前も「楽しみで寝れない!!」となかなか寝付かなかった。
1週間の労働の疲れを感じつつ目が覚めたのは朝5時。沁みついた体内時計に感心しつつ、ゆとりある朝を過ごそうとゆっくり掃除と家事をして、牛乳がないからコンビニに行ったの6時過ぎ。ジュースも買って帰ったら、頭には水泳帽、下半身は水着姿の二人がソファの上でじゃれあってた。出発予定は8時過ぎで、「ねえ、まだー?」「まだいかないのー?」を連発する5分後の未来が見えて、その時私はすこしゲッソリとする。そういう未来は確実に合っているのが現実で、案の定、7時前から「はやくはやく」でせっつく二人で、早く着いたら車で待つかと予定を30分早めて出発!
午前中のプールの温度は冷たくて気持ちがよかった。テンション上がった私は、潜ったり長男と泳いだり、次男と浮いたり『THE 夏!』を体感できた。
水泳教室に通わせようかな~と思いつつやらずにきた二人。長男は小学校で本格的なプール初体験だったけど、2年生になってケノビやバタ足ができるようになった。それを披露してくれ、あんまり上手じゃないのすら微笑ましいなと思える(途中から教えるようにしたら少しうまくなった)。次男は水遊び大好き!! を全面に押し出して楽しんでいた。
入れ替え制の良いところは、もう終わりだから帰るよで引き上げられることだろう。まだ入りたいの連呼もあったけど、「終わりなものは終わり」これで納得もできるのだから(でも案の定ごねたため3度くらい怒った)。
その日は更なる予定を組んでいたので、久しぶりに夜までたくさん遊べた。
本当なら夏休み中、平日とか連れて行ってあげられたらいいんだけど、それはまあ無理ということで……。
プールを後に、浮き輪を腰につけたまま上半身裸で車に戻るたくましい子供たちの背中をみて、しみじみとああ、夏が来たなあと感じ入る。今年も美白は大失敗してすでに真っ黒に日焼けしているけど、まあいっかと思えた夏の1日だった。
野太くあるためにかくあれ
家族の悩みは尽きなく、一番重いのは一人目が生まれてから産後すぐから抱えたものだった。正直、生まれた長男と旦那とだけで過ごして、それだけ向き合う生活だったら、赤ちゃんのことだけ考えられたらみたいなことを思わなくもなかった。ただでさえ子供が生まれたら精神的に不安定になるっていうのに、と。
もう上の子は8歳、下の子は5歳になる年にもなったからそんな変えようもない環境の恨み節をいったってしょうがない。よくぞ今まで強く野太くやってきたもんだ。
すべてが忙しくて、正直メンタル維持のために何かしないと本当にやべえと思ったりもしたのが昨年の10月ごろから。そこでやったのは、SNSの削除(鍵垢ツイッターは残)。目に入る情報を減らして、考えるべきことを絞った。すごくよかった。ただ、友人らにはアイツいないけどどうしたんだ? と思われた。個別に連絡がき、「疲れすぎてやばくて消した」といえば、「ああわかる」と納得してもらえた。はっきり言ってその状況と精神的に健全じゃないのはわかる。わかっているけど健全じゃなくたってこれ飲んだらすぐ治るぜなんてものは存在してない。時間をかけて向き合っていくしかない。SNSにしか繋がりがない友人には申し訳ないが、まあ用があれば辿って連絡が来るだろう。
そんなことをしつつ、同じように忙しく働く友人と傷のなめあいはしてる。辛い、きつい、しんどい、体調やばい、月曜日はクソ、夢で仕事してたクソ。これが言える人がいるだけで本当に頑張れる。
頑張れるんだけども、色々な山と谷を越えてもなお、時折やばい辛く不安気持ちにかられるのが、人生。
またやばいなと思って、大体そういう時は映画と本と音楽の好きなものを好きなように観て読んで聴いてとしてて、今回選んだのは『男はつらいよ』だった。
大概見る映画はドンパチしてたりの私、昨年見た映画で一番面白かったのは『ブルータルジャスティス』というハードなクライム映画だったのに、今求めていたのはそれだった。
奇しくも土手は家から近く、柴又も距離としては近いので馴染みが深い。映画も今まで何本も観たものだったけど、急に心がそれを選んだ。
昼休み、さもしい自分で作った弁当をパカっとあけて、イヤホンを耳にしてスマホの小さな画面で観る。様式美のような喧嘩があり、寅さんが出て行って、きれいな女優のヒロインが出てきて、寅さんに会わせちゃまずいとみんなで話してたらばったり寅さん帰ってきちゃって、また喧嘩して。
口汚い喧嘩は今となってはダメなんだろう。怒号だってあるし、手も出てる。ジェンダーにも引っかかりそう。それを止めて泣く、おばちゃんや妹。なんてことがあっても、最後丸く収まって大団円。
何かを見て泣くことが私にとって結構レアだったりするのに、この日は昼休憩中に涙がボロボロ出てきた。鼻水も出るし、会社の席だし、泣いちゃう自分にも笑える。でもすごい泣けた。
そのあとも何作か適当に見続けて、今日もまた昼にみた。帰り道に大団円を迎える予定。
何がこんなに響いたのかなと考えた。何なら救われた気持ちだった。
そして気が付いたが、理由は家族の様子なのだとわかった。家族が喧嘩したっていい。ムカつくこと、言いたくなること、否定したくなること、そういう負の気持ちをもつこと自体を、どうして私は自分の思い通りにならないからと自分の家族にそう思ってしまうのだろうとずっと自責していたのを、このドタバタ劇で、別にいいかと思えた。そうだいいのだ、といって攻撃するのは別の話なのは忘れないで、自責の念を持ちすぎていてはいかん、と。
お金がなくてもいい(いいってこたないが)、社会的地位も固執しすぎなくていい、欠点があってもいい、辛くたってもいい。歳を取って観て、そんな気持ちになるとは若いところには思いもよらなかったことだ。
同時期、大好きなアーティストが女性だけで映った写真で長い英文で互いに讃えあう投稿をしているのを見る。その中の一文「imperfect perfection....」。それもいい言葉だと噛み締めた。
いうてまた同じようにつらい! となるのはわかっているけど、また一つ野太くなれたことを吐き出したかった。
自分自身で納得してそれでいいという裏付けが欲しくて、それに気が付いて救われた、日記。