のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

憧れだった『ぼくらの七日間戦争』

朝方、映画の『ぼくらの七日間戦争』を思い出すような夢を見た。なんとなく秋めいた涼しい空気でエモい感じだったからかな・・・・・・。

 

小学生だったあの当時、この映画が凄く好きで、テレビで放送したのをVHSに録画してテープが切れてしまうまで何度も観ていた。あの宮沢りえ筆頭に、出ていた中学生達がとても大人に見えて、憧れだった。中学生になったらセーラー服を着て、あの革の薄いバッグを持って、白い靴下を短くして学校に通うのを夢見てた。学校帰りには喫茶店に入り浸る(これはろくでなしブルースの影響だったけど)、というような。

 

男女が廃工場に立てこもり、今までの息苦しい生活から一変、自由に過ごす時間。 一番好きだったシーンは、おデブキャラのあきらくんが陣頭指揮をとって、ハンバーグを作って食べる。それがとても美味しそうで・・・・・・が、ちょっとしたケンカでハンバーグは台無し。ハンバーグ勿体ない。そして、ヒロインの宮沢りえの可愛さ。突出して可愛かった。あとは、なんて名前だったか、Gジャンをノースリーブにして着てた男子。胴着を肩にかける姿、男らしくて好きだった。男らしいのに鳥を飼っててギャップ萌とはこのこと。

こんな甘酸っぱい中学生時代を過ごしたいなあ・・・・・・という妄想をして、まだ乗れないチャリンコにまたがって、カゴに薄ぺらい革バッグを入れてペダルを漕いで通学をしている妄想をしたりしていた。

 

あの映画は管理教育への反発というテーマのようだったけど、まだ小学生だったし、テーマに対してどうのこうの思うことは全くなかった。が、大人は怖いと思っていたし、特に、俳優の大地康雄さん扮する野沢先生に異常に恐怖を覚えていた。声を張り上げるんじゃなく、言葉静かに頭を叩くあの演技が怖い。今現在、この野沢先生とセットで思い出されるのが、高校時代に髪の毛を短く切りすぎてるっていう理由で髪の毛を掴まれて怒られた書道の先生。調子に乗ってた私が悪いんだけど、掴まなくてもいいんじゃないかな、先生。映画主題歌のTMNの「Seven Days War」のように、当時の私も闘っていたんだな。でも、全面的に私が悪かったから致し方ない。

 

そんな私の憧れの『ぼくらの七日間戦争』。中学高校は女子校に入ったから男女で青春的なことをすることもなく、女子としては宮沢りえとは真逆になり、先生に反抗するところだけは踏襲していたなあと、ぼんやりと思ったそんな朝だった。

 

アマゾンプライムにあるっぽいから、ちょっと観てみよう。今観たらどう感じるかしら。

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骨折記録 4(妊娠後期)

骨折して7日目、内出血と痛みはひいてきているが腫れ? むくみ? 足の形状がおかしい。
旦那氏がお休み返上で仕事をした後に買い物に行くことになった。骨折して初めての遊びだ。おもちゃ屋とショッピングモールのハシゴだった。思ってたより大変だった。サポーターがあってもすたすた旦那と子供のスピードに合わせて歩くことは出来ない。

さらに妊娠後期、お腹の出っ張りと重みで息苦しい。何よりもお店の床って固い・・・・・・。痛い足の踵が痛い。ひーこらひーこらいいつつ、数時間の買い物を終わって帰宅。お盆期間にちょっとした旅行なら行けるかも、という淡い期待は粉塵となった。

 

骨折して8日目、内出血はドンドン拡がって緑色の足になる。こわ。久しぶりに銭湯に行った。熱い薪で沸かした風呂にゆっくりと浸かり、そろりそろりと気をつけながら風呂場を移動。おばちゃんたちは今日も元気だった。2歳の男の子が見つからないニュースで持ちきりだ。そして、お腹を見て、やれこれは男の子だねとか暑いのに大変だよねなどという会話をする。元気になる。

 

骨折して10日目、内出血が落ち着いてきた。銭湯効果かもしれない。そして、鉄道博物館に行く。トーマス列車に乗せてあげられない罪滅ぼし、せめてもの鉄道博物館。営業時間開始前なのに長蛇の列、お盆を関東で過ごすのは久しぶりだったが、やはり人混みを舐めていた。途中で涼しそうな所のベンチでひたすら座って旦那氏と息子を待つ。便意がくるも、トイレの場所を目視して、のろのろ歩いてそこにたどり着けるか非常に不安に駆られて迷いまくるも、途中で座り込むほどの痛みになっても嫌だから焦りながら波がおさまるのを待つことにする。スムーズに歩けないとこういうことにも困る。

息子にせがまれてトーマスのグッズを買う。高い。どうせなら新幹線のグッズ買えばいいのに・・・・・・。まあいい。夜、またもや銭湯に行く。今日は薬湯で、ビリビリきた。今日のおばちゃん達の話題は、見つかった2歳の男の子のニュースで持ちきりだった。私も心から嬉しい。

 

骨折して11日目、昨日の薬湯がよかったのか、謎のむくみ? 腫れがひいている。甲に骨が浮いているのを見られるようになってきた。銭湯でも湯治の意味があるのかもしれない。歩くのも、スピードが戻ってきたように思える。が、外出しに行くものの、やはり長時間歩き回るのはとてもつらい。というか、お腹が苦しくてしんどい。油断して、外出先でまたもや躓いて、転びそうになった。これ以上悪化できないし、気をつけないと・・・・・・とひやっとした。

 

14日間過ぎると、だいぶよくなるということだからあと数日、期待大。銭湯も出来るだけ行こう。

彼方から届く夏の葉書

今でも交流がある前の会社の女性の先輩。同じ時期に母になったことやその時比較的近くに住んでいたこともあり、産後も子育ての悩みなどを連絡してお互いを励まし合っていた。

先に私が産後五ヶ月ほどで早く復帰、先輩も年越しに復帰して気軽に会うことも、日々に忙殺されてLINEもなかなかできないようになってしまった。先輩は部下がたくさんいるから、なおさら色々大変じゃないかなと、思っている。

先輩は季節毎に、必ずお葉書をくれる。年賀状、年賀状が出せないときは寒中お見舞い、そして暑中お見舞い。それが、とても嬉しく、LINEで返事をすればいいのかもしれないけれど、私も季節の葉書を伊東屋に見に行っては、長くならないけど短すぎない文章を考えて、切手を貼って投函をする。

字が綺麗な方ではないので、書くときは文章を考えてから唯一持っている安い万年筆で、ゆっくり、丁寧に書く。どうしても修正テープは使いたくない。

先輩に先に出させないで、自分も季節がきたら(年賀状はやるにしても)出すようにすればいいのに、どうしても待ってしまう自分がいる。届いてから、先輩の気遣いや思い、そういうものが一枚の葉書から強烈に伝わって凄く嬉しい気持ちになる。

先輩との夏のこの葉書のやり取りがとても好きなので、ほかの友人にも書きたい気持ちもするが、結局先輩にだけ出して終わってしまう。

今年の葉書は怪我でどうしても伊東屋にいけなかったので、お気に入りのダリの葉書を使って投函した。

今骨折してます、そうメッセージを添えて。

彼方からの手紙