のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

骨折記録 3(妊娠後期)

骨折して3日目、息子は朝起きてすぐ、「おかあさん足まだいたい?」と聞いてくる。泣ける。保育園にいくときはやはり玄関でスムーズにさよならをして出て行く。

足は順調、内出血により色が緑色になっているが、アイシングを3日間したあとはあとは温めて血流をよくするのがコツである、そう長年スポーツをやっていた旦那にアドバイスを受けたので、靴下を履き時たまマッサージをする。あとは負担のかかっている健康な膝にサポーターをする。膝が負担かかって、痛めてしまうということだった。

日中、ひたすら横になって甲子園かBSの映画を見ているのにも激しく飽きてきた。

時間が余ってちょうどいいからと資格の勉強をしようにも、ソファに横になってやる気もでるわけもなく、TwitterやLINEや仕事のメールを見ながら数時間を過ごす。

昼前に眠気がやってきて甲子園の球児達の軽快な音を聞きながら寝落ち。暑くて起きてカツ丼を半分食べる。

この数日いろいろ手を尽くして、数人の東海地方の友達に協力してもらったが、残念ながら大井川鐵道のトーマス号のチケットを安く買ってくれる人は現れず、落胆する。

息子は保育園から帰ってきてもわがままも言うことなく、お風呂もおじいちゃんと入って、ちゃんと着替えて寝る。たまに抱っこして欲しいときは、おんぶして、杖で歩くという力業をしていたが、それを見たおばあちゃんがとんでもない悲鳴を上げた。早くよくなりたいとつくづく思う。

 

骨折して4日目、同じく息子は足を気遣ってくれる。内出血は相変わらず、痛みは落ち着いてきている気がする。保育園行く前には痛いの痛いのとんでいけとさすってくれた(触られる瞬間びびってしまったが)。過ごし方は3日目と同じ。旦那氏が早く帰ってきたので、お風呂に3人ではいる。とても嬉しそうだし、息子は自分で体を洗ったり「お兄ちゃん」をしてた。いよいよ明日は出勤だ、と昼寝してるのにすぐ寝た。

 

骨折して5日目、息子はまた朝「足いたい?」と聞いてくる。いたいけど今日は一緒に保育園いくよ。と伝えると嬉しそうにしていた。ただ、保育園では抱っこできないから、ちゃんと一緒に手を繋いで歩こうねと約束したら「ひとりで歩いて行ける!」と怒り出した。保育園到着すると、おじいちゃんに抱っこをせがんだ。歩かないんかい。一緒に登園、先生から憐憫のまなざしを浴びる。

駅に送ってもらい、念のため杖をつきながら通勤電車に乗り込む。妊娠してからは数駅先に行き、そこで数分待って始発電車を乗るようにしているので特に大変な事はない。問題は、降りた駅の階段だ。最寄り駅はエスカレーターはなく、遠い降り口にエレベーターがある。ここは人の波を避けてゆっくり昇るしかない。

えっちらおっちら慣れない杖を使いながら階段を上る。途中しらないおばあさんが、「大丈夫?気をつけてね」と声をかけてくれた。・・・・・・さらに後ろにいた女性に「あの人大変だから手伝ってあげてよ!」とがなりだしたので、焦って平気であると伝えた。

やはり旦那氏に言われたとおり、周りの目からするとあまりよろしくないんだな・・・・・・とハアハアしながら階段を上りきった。

会社のビルにつくといつも会うお掃除のおじさんに挨拶すると、同じように気遣われ、逆に申し訳ない気持ちになる。杖はもう使わない決意をここで固める。帰りは車で迎えにきてもらい、保育園に久しぶりに私が迎えに行って、息子はとても嬉しそうだ。早く回復しないとなほんと。

 

怪我をして思うこと、それは外のバリアフリーのありがたさに感謝だった。家はそんな配慮がないので、とても不便。古い駅なども整っていなかったりすると階段も狭く、周りに気を遣わせるし、大変だ。と言うことも頭でわかってたけど、実際体験してこそ、ようやく身にしみるんだよなあ。と、怪我後1日通勤して痛感した。

 

動かないで下半身の筋肉が落ちてしまうと、出産時に力が入らなくなるから、その辺も考えつつお盆休みは動いていこう。

骨折記録2(妊娠後期)

骨折して2日目、腫れは多少よくなったが、内出血が広がっている。朝起きて前日よりも歩くのが少し楽になるも相変わらずひょこひょこしないとならない。が、杖を買って来てもらったので起き上がる時歩く時の支えに最高のアイテムだ。

杖のデザインのリクエストは、頼むから花柄はやめてほしいと懇願。するとウッディな温かみのあるデザインに調節機能がついた一品を買ってきてくれた。息子も素直に保育園に行き、お風呂もお母さんとは入れないというのを納得してくれ、お利口...が、抱っこして連れてってほしい、そういう場面の時は譲らない。譲らないから、おんぶならいいよと、おんぶして杖で起き上がるという怪我をしていない太ももに負担が死ぬほどかかる所業を強いられる。致し方ない。

右足は使えるので、車の運転をトライ。問題なし、ただ左足も動かさないで緊張しているからか、硬くなっていて、乗り降りで痛む。


骨折して3日目、腫れは変わらず、2日目よりも歩ける。快復は早いかもしれない。かかりつけ病院内にある整形外科に行く。顔見知りの看護師さんたちに、聞いたよ、大変ね...と憐憫の目を向けられる。ほんと大変です。

整形外科はおじいちゃんおばあちゃんが殺到するので、週刊誌を読みふけりながら待つ。

再度レントゲンを撮り、先生曰く「たしかに折れてる。ひねった時に、腱がのびて捻挫した後に骨が折れた。できればテーピングや包帯の固定をしたいけど、大きいお腹でやるのは難しいかな」と。添木やギブスは、歩けなくなり松葉杖ついて、妊娠後期のそのお腹で歩いて、万が一また転倒したら大変だと却下。

そこで出されたのが、サポーターだった。骨折はもうくっつくのを待つのみ、捻挫で腫れてるから巻くときの痛みに我慢できればこれを...と巻いてもらう。

立ち上がって驚いた、痛くない! 歩けますけど! ひと月もすれば、普通に歩ける程度に快復するでしょうとのこと。このサポーター、最高すぎる。
蛇足。過去に骨折した後があり変なふうに骨がくっついてる箇所を発見。覚えがないが、案外簡単に骨折とかしてるもんなんだなと思った。

後2日休みをもらったので、無事に通勤もできそうな予感がする。


休んで家に居て知ったこと。それは、年老いた両親がやれなんだかんだとわけのわからない言い合いを常にしている。それも、本当にくだらないことで。テレビチャンネル争いも数時間ごとにしている。

こうはなるまい、そう思った骨折3日目。
竹虎 ソフラウルファー ベージュ-L

骨折記録 1(妊娠後期)

妊娠8カ月の最後の週、人生初、左足の甲の外側あたりを骨折。時は日曜日の夕方過ぎたころ、友達が遊びにきて息子たちは外でストライダーやらボール遊び中だった。

そんな時、砂利道のちょっとした段差につまずいて、とっさにお尻とお腹をぶつけてはと左足に思い切り体重をかけて捻った。多分。焦って必死だったからどうやって転んだか覚えてない。

みんな焦ってやってきて、息子は変な顔していた。お母さんが急に無様に転んだからだろうか。

痛くてしばらく起き上がれなかった。できればネイマールぐらいゴロゴロしたかった。砂利道と人の目で我慢した。ちょうどその時仕事から旦那氏が帰ってきて、地面に転がってる私を見てドン引きしてた。

とりあえず起き上がってお腹も無事、いやびっくりしたねなんて話していて数分、痛い。ひょこひょこしながら歩いて、友達を見送り部屋に戻って、アイシングしようと見ると、異常に膨らんでる。触ると痛い。なんならズキズキ脈打って、居ても立っても居られない。

捻挫の経験は何度かあるが、捻挫はこんなに腫れなかったと思う。そして痛くて痛くて、あのいぼ痔を切った時のように痛い。

夜間救急の整形外科に電話した。妊娠後期であること、一時間前に転んだこと、腫れてること、それでも見てもらえるのかを確認。

手術を控えているから、急いできたらすぐ診るというので車で向かう...のにも歩けない。痛い。おんぶも不可能、なんとか身体を支えてもらい、病院では車椅子を借りて院内へ。

先生は患部を見て、折れてるかもね。と、一言。妊娠対応のレントゲンを支持して放射線科へ。妊娠中は鉛入りのベストを着て、レントゲンを撮ると放射線を防げるらしい。知らなかった。

結果折れていた。骨のところに薄いグレーの線がスッと、入ってた。それはそれは綺麗に。

頭を抱えた。旦那氏はいま多忙で育児関連のフォローは不可能、仕事の引き継ぎおわってない、なにより、再来週の大井川鐵道旅行。

ギブスはなし。
妊娠中につき湿布&投薬も不可。
ただ冷やして安静にして自然治癒を待つ。
歩き方はペンギンのように。
仕事は行けるなら頑張って。
旅行も行けるなら頑張って。
足を高くして寝て。
二週間で筋肉?細胞?が入れ替わるから、腫れもそれくらいで引くはず。

先生からそう言われ死んだ目の魚のようになりながら帰宅。

骨折0日目、その日の夜は痛さと情けなさとショックとで寝られず。

骨折1日目の翌日、一部ボコッとした腫れから全体的な腫れと内出血。家の中は杖代わりに傘で移動。息子には、お母さんは怪我をして歩けないからおじいちゃんと一緒に保育園行ってね、とダメ元で話す。

理解してくれ、すんなり保育園に。ありがたい。

杖をおじいちゃんおばあちゃんに買ってきてもらう予定。1日目は休んで、杖で歩けるかを試して2日目から仕事に行けたら行くことにする。

なによりお腹も無事だし、よかった。とりあえずはなんとかもろもろこなして、カルシウムをとって、快復を待つのみ。希望は、同居しているおじいちゃんおばあちゃんがいてくること。もはや頼めることは頼むしかない。イヤイヤ期がひどいからこの高齢者コンビでは厳しいところがあるが、なんとか家族の協力を仰ぐようにする。不注意の極み、反省と情けなさとで気分も落ちる。

後悔しても後の祭り、医療保険だけじゃなく、傷害保険も入っておくべきだったなあ。