のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

骨折記録 4(妊娠後期)

骨折して7日目、内出血と痛みはひいてきているが腫れ? むくみ? 足の形状がおかしい。
旦那氏がお休み返上で仕事をした後に買い物に行くことになった。骨折して初めての遊びだ。おもちゃ屋とショッピングモールのハシゴだった。思ってたより大変だった。サポーターがあってもすたすた旦那と子供のスピードに合わせて歩くことは出来ない。

さらに妊娠後期、お腹の出っ張りと重みで息苦しい。何よりもお店の床って固い・・・・・・。痛い足の踵が痛い。ひーこらひーこらいいつつ、数時間の買い物を終わって帰宅。お盆期間にちょっとした旅行なら行けるかも、という淡い期待は粉塵となった。

 

骨折して8日目、内出血はドンドン拡がって緑色の足になる。こわ。久しぶりに銭湯に行った。熱い薪で沸かした風呂にゆっくりと浸かり、そろりそろりと気をつけながら風呂場を移動。おばちゃんたちは今日も元気だった。2歳の男の子が見つからないニュースで持ちきりだ。そして、お腹を見て、やれこれは男の子だねとか暑いのに大変だよねなどという会話をする。元気になる。

 

骨折して10日目、内出血が落ち着いてきた。銭湯効果かもしれない。そして、鉄道博物館に行く。トーマス列車に乗せてあげられない罪滅ぼし、せめてもの鉄道博物館。営業時間開始前なのに長蛇の列、お盆を関東で過ごすのは久しぶりだったが、やはり人混みを舐めていた。途中で涼しそうな所のベンチでひたすら座って旦那氏と息子を待つ。便意がくるも、トイレの場所を目視して、のろのろ歩いてそこにたどり着けるか非常に不安に駆られて迷いまくるも、途中で座り込むほどの痛みになっても嫌だから焦りながら波がおさまるのを待つことにする。スムーズに歩けないとこういうことにも困る。

息子にせがまれてトーマスのグッズを買う。高い。どうせなら新幹線のグッズ買えばいいのに・・・・・・。まあいい。夜、またもや銭湯に行く。今日は薬湯で、ビリビリきた。今日のおばちゃん達の話題は、見つかった2歳の男の子のニュースで持ちきりだった。私も心から嬉しい。

 

骨折して11日目、昨日の薬湯がよかったのか、謎のむくみ? 腫れがひいている。甲に骨が浮いているのを見られるようになってきた。銭湯でも湯治の意味があるのかもしれない。歩くのも、スピードが戻ってきたように思える。が、外出しに行くものの、やはり長時間歩き回るのはとてもつらい。というか、お腹が苦しくてしんどい。油断して、外出先でまたもや躓いて、転びそうになった。これ以上悪化できないし、気をつけないと・・・・・・とひやっとした。

 

14日間過ぎると、だいぶよくなるということだからあと数日、期待大。銭湯も出来るだけ行こう。

彼方から届く夏の葉書

今でも交流がある前の会社の女性の先輩。同じ時期に母になったことやその時比較的近くに住んでいたこともあり、産後も子育ての悩みなどを連絡してお互いを励まし合っていた。

先に私が産後五ヶ月ほどで早く復帰、先輩も年越しに復帰して気軽に会うことも、日々に忙殺されてLINEもなかなかできないようになってしまった。先輩は部下がたくさんいるから、なおさら色々大変じゃないかなと、思っている。

先輩は季節毎に、必ずお葉書をくれる。年賀状、年賀状が出せないときは寒中お見舞い、そして暑中お見舞い。それが、とても嬉しく、LINEで返事をすればいいのかもしれないけれど、私も季節の葉書を伊東屋に見に行っては、長くならないけど短すぎない文章を考えて、切手を貼って投函をする。

字が綺麗な方ではないので、書くときは文章を考えてから唯一持っている安い万年筆で、ゆっくり、丁寧に書く。どうしても修正テープは使いたくない。

先輩に先に出させないで、自分も季節がきたら(年賀状はやるにしても)出すようにすればいいのに、どうしても待ってしまう自分がいる。届いてから、先輩の気遣いや思い、そういうものが一枚の葉書から強烈に伝わって凄く嬉しい気持ちになる。

先輩との夏のこの葉書のやり取りがとても好きなので、ほかの友人にも書きたい気持ちもするが、結局先輩にだけ出して終わってしまう。

今年の葉書は怪我でどうしても伊東屋にいけなかったので、お気に入りのダリの葉書を使って投函した。

今骨折してます、そうメッセージを添えて。

彼方からの手紙

骨折記録 3(妊娠後期)

骨折して3日目、息子は朝起きてすぐ、「おかあさん足まだいたい?」と聞いてくる。泣ける。保育園にいくときはやはり玄関でスムーズにさよならをして出て行く。

足は順調、内出血により色が緑色になっているが、アイシングを3日間したあとはあとは温めて血流をよくするのがコツである、そう長年スポーツをやっていた旦那にアドバイスを受けたので、靴下を履き時たまマッサージをする。あとは負担のかかっている健康な膝にサポーターをする。膝が負担かかって、痛めてしまうということだった。

日中、ひたすら横になって甲子園かBSの映画を見ているのにも激しく飽きてきた。

時間が余ってちょうどいいからと資格の勉強をしようにも、ソファに横になってやる気もでるわけもなく、TwitterやLINEや仕事のメールを見ながら数時間を過ごす。

昼前に眠気がやってきて甲子園の球児達の軽快な音を聞きながら寝落ち。暑くて起きてカツ丼を半分食べる。

この数日いろいろ手を尽くして、数人の東海地方の友達に協力してもらったが、残念ながら大井川鐵道のトーマス号のチケットを安く買ってくれる人は現れず、落胆する。

息子は保育園から帰ってきてもわがままも言うことなく、お風呂もおじいちゃんと入って、ちゃんと着替えて寝る。たまに抱っこして欲しいときは、おんぶして、杖で歩くという力業をしていたが、それを見たおばあちゃんがとんでもない悲鳴を上げた。早くよくなりたいとつくづく思う。

 

骨折して4日目、同じく息子は足を気遣ってくれる。内出血は相変わらず、痛みは落ち着いてきている気がする。保育園行く前には痛いの痛いのとんでいけとさすってくれた(触られる瞬間びびってしまったが)。過ごし方は3日目と同じ。旦那氏が早く帰ってきたので、お風呂に3人ではいる。とても嬉しそうだし、息子は自分で体を洗ったり「お兄ちゃん」をしてた。いよいよ明日は出勤だ、と昼寝してるのにすぐ寝た。

 

骨折して5日目、息子はまた朝「足いたい?」と聞いてくる。いたいけど今日は一緒に保育園いくよ。と伝えると嬉しそうにしていた。ただ、保育園では抱っこできないから、ちゃんと一緒に手を繋いで歩こうねと約束したら「ひとりで歩いて行ける!」と怒り出した。保育園到着すると、おじいちゃんに抱っこをせがんだ。歩かないんかい。一緒に登園、先生から憐憫のまなざしを浴びる。

駅に送ってもらい、念のため杖をつきながら通勤電車に乗り込む。妊娠してからは数駅先に行き、そこで数分待って始発電車を乗るようにしているので特に大変な事はない。問題は、降りた駅の階段だ。最寄り駅はエスカレーターはなく、遠い降り口にエレベーターがある。ここは人の波を避けてゆっくり昇るしかない。

えっちらおっちら慣れない杖を使いながら階段を上る。途中しらないおばあさんが、「大丈夫?気をつけてね」と声をかけてくれた。・・・・・・さらに後ろにいた女性に「あの人大変だから手伝ってあげてよ!」とがなりだしたので、焦って平気であると伝えた。

やはり旦那氏に言われたとおり、周りの目からするとあまりよろしくないんだな・・・・・・とハアハアしながら階段を上りきった。

会社のビルにつくといつも会うお掃除のおじさんに挨拶すると、同じように気遣われ、逆に申し訳ない気持ちになる。杖はもう使わない決意をここで固める。帰りは車で迎えにきてもらい、保育園に久しぶりに私が迎えに行って、息子はとても嬉しそうだ。早く回復しないとなほんと。

 

怪我をして思うこと、それは外のバリアフリーのありがたさに感謝だった。家はそんな配慮がないので、とても不便。古い駅なども整っていなかったりすると階段も狭く、周りに気を遣わせるし、大変だ。と言うことも頭でわかってたけど、実際体験してこそ、ようやく身にしみるんだよなあ。と、怪我後1日通勤して痛感した。

 

動かないで下半身の筋肉が落ちてしまうと、出産時に力が入らなくなるから、その辺も考えつつお盆休みは動いていこう。