のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

骨折記録2(妊娠後期)

骨折して2日目、腫れは多少よくなったが、内出血が広がっている。朝起きて前日よりも歩くのが少し楽になるも相変わらずひょこひょこしないとならない。が、杖を買って来てもらったので起き上がる時歩く時の支えに最高のアイテムだ。

杖のデザインのリクエストは、頼むから花柄はやめてほしいと懇願。するとウッディな温かみのあるデザインに調節機能がついた一品を買ってきてくれた。息子も素直に保育園に行き、お風呂もお母さんとは入れないというのを納得してくれ、お利口...が、抱っこして連れてってほしい、そういう場面の時は譲らない。譲らないから、おんぶならいいよと、おんぶして杖で起き上がるという怪我をしていない太ももに負担が死ぬほどかかる所業を強いられる。致し方ない。

右足は使えるので、車の運転をトライ。問題なし、ただ左足も動かさないで緊張しているからか、硬くなっていて、乗り降りで痛む。


骨折して3日目、腫れは変わらず、2日目よりも歩ける。快復は早いかもしれない。かかりつけ病院内にある整形外科に行く。顔見知りの看護師さんたちに、聞いたよ、大変ね...と憐憫の目を向けられる。ほんと大変です。

整形外科はおじいちゃんおばあちゃんが殺到するので、週刊誌を読みふけりながら待つ。

再度レントゲンを撮り、先生曰く「たしかに折れてる。ひねった時に、腱がのびて捻挫した後に骨が折れた。できればテーピングや包帯の固定をしたいけど、大きいお腹でやるのは難しいかな」と。添木やギブスは、歩けなくなり松葉杖ついて、妊娠後期のそのお腹で歩いて、万が一また転倒したら大変だと却下。

そこで出されたのが、サポーターだった。骨折はもうくっつくのを待つのみ、捻挫で腫れてるから巻くときの痛みに我慢できればこれを...と巻いてもらう。

立ち上がって驚いた、痛くない! 歩けますけど! ひと月もすれば、普通に歩ける程度に快復するでしょうとのこと。このサポーター、最高すぎる。
蛇足。過去に骨折した後があり変なふうに骨がくっついてる箇所を発見。覚えがないが、案外簡単に骨折とかしてるもんなんだなと思った。

後2日休みをもらったので、無事に通勤もできそうな予感がする。


休んで家に居て知ったこと。それは、年老いた両親がやれなんだかんだとわけのわからない言い合いを常にしている。それも、本当にくだらないことで。テレビチャンネル争いも数時間ごとにしている。

こうはなるまい、そう思った骨折3日目。
竹虎 ソフラウルファー ベージュ-L

骨折記録 1(妊娠後期)

妊娠8カ月の最後の週、人生初、左足の甲の外側あたりを骨折。時は日曜日の夕方過ぎたころ、友達が遊びにきて息子たちは外でストライダーやらボール遊び中だった。

そんな時、砂利道のちょっとした段差につまずいて、とっさにお尻とお腹をぶつけてはと左足に思い切り体重をかけて捻った。多分。焦って必死だったからどうやって転んだか覚えてない。

みんな焦ってやってきて、息子は変な顔していた。お母さんが急に無様に転んだからだろうか。

痛くてしばらく起き上がれなかった。できればネイマールぐらいゴロゴロしたかった。砂利道と人の目で我慢した。ちょうどその時仕事から旦那氏が帰ってきて、地面に転がってる私を見てドン引きしてた。

とりあえず起き上がってお腹も無事、いやびっくりしたねなんて話していて数分、痛い。ひょこひょこしながら歩いて、友達を見送り部屋に戻って、アイシングしようと見ると、異常に膨らんでる。触ると痛い。なんならズキズキ脈打って、居ても立っても居られない。

捻挫の経験は何度かあるが、捻挫はこんなに腫れなかったと思う。そして痛くて痛くて、あのいぼ痔を切った時のように痛い。

夜間救急の整形外科に電話した。妊娠後期であること、一時間前に転んだこと、腫れてること、それでも見てもらえるのかを確認。

手術を控えているから、急いできたらすぐ診るというので車で向かう...のにも歩けない。痛い。おんぶも不可能、なんとか身体を支えてもらい、病院では車椅子を借りて院内へ。

先生は患部を見て、折れてるかもね。と、一言。妊娠対応のレントゲンを支持して放射線科へ。妊娠中は鉛入りのベストを着て、レントゲンを撮ると放射線を防げるらしい。知らなかった。

結果折れていた。骨のところに薄いグレーの線がスッと、入ってた。それはそれは綺麗に。

頭を抱えた。旦那氏はいま多忙で育児関連のフォローは不可能、仕事の引き継ぎおわってない、なにより、再来週の大井川鐵道旅行。

ギブスはなし。
妊娠中につき湿布&投薬も不可。
ただ冷やして安静にして自然治癒を待つ。
歩き方はペンギンのように。
仕事は行けるなら頑張って。
旅行も行けるなら頑張って。
足を高くして寝て。
二週間で筋肉?細胞?が入れ替わるから、腫れもそれくらいで引くはず。

先生からそう言われ死んだ目の魚のようになりながら帰宅。

骨折0日目、その日の夜は痛さと情けなさとショックとで寝られず。

骨折1日目の翌日、一部ボコッとした腫れから全体的な腫れと内出血。家の中は杖代わりに傘で移動。息子には、お母さんは怪我をして歩けないからおじいちゃんと一緒に保育園行ってね、とダメ元で話す。

理解してくれ、すんなり保育園に。ありがたい。

杖をおじいちゃんおばあちゃんに買ってきてもらう予定。1日目は休んで、杖で歩けるかを試して2日目から仕事に行けたら行くことにする。

なによりお腹も無事だし、よかった。とりあえずはなんとかもろもろこなして、カルシウムをとって、快復を待つのみ。希望は、同居しているおじいちゃんおばあちゃんがいてくること。もはや頼めることは頼むしかない。イヤイヤ期がひどいからこの高齢者コンビでは厳しいところがあるが、なんとか家族の協力を仰ぐようにする。不注意の極み、反省と情けなさとで気分も落ちる。

後悔しても後の祭り、医療保険だけじゃなく、傷害保険も入っておくべきだったなあ。

上司に言われたひとこと

ブラック企業(という言葉は当時なかったけど)の出版社から転職して中途採用で入った大企業では、高学歴の人たちばかりだった。よく中途採用されたな・・・・・・と今では思うが、採用担当の若い部長が学歴では推し量らない少しぶっ飛んだ人で、面接で買ってくれたことが大きかったようだった。

 

出版社で過酷な環境で働いていたからか、仕事の何をしてもここは天国なのかな・・・・・・と思うことばかり。ただ、とにかく新しい業種で新しい仕事、なにより高学歴の人たちのレベルに何としてでも追いつかなければと、必至に働いた。フン、低学歴め、そういった事を思われたり言われたり全くそういうことはなかった(思われてたとしても、そんなことより生き残る方が先決だった)。みんな仕事に真面目で、非難されることは仕事をしないことだけのようで、そのスタンスはとても性に合っていたと思う。男性も女性もガチンコで働いていて、色々な面で本当に勉強になった。

 

最初はアシスタントから、あれよあれよと進んで担当部門を持ったとき。とある頭脳明晰でクールな上司の部下になった。関西出身で、分からないことがあるときに時間を割いて貰って、色々教えてもらえたとてもいい人だった。私自身は、ある程度仲良くなってしまうと、誰彼構わず、面白おかしく自分のプライベートをしゃべっては、「お前はどうしようもないなあ〜」という感じでいたので、気軽にいろんな事を相談していたと思う。

 

でもあるとき、家族のお金のこと、その当時の彼氏のことで結構な悩んだ時に仕事に影響が出た。重い話しはさすがに会社の人に相談できないので、悶々としながらなんとか仕事をするが、いかんせん体調に響いたりミスしたり。採用してくれた部長とその上司と別件で面談の際に、ついボロっと言ってしまった。こういう状況でそれが影響しているのかも、知れませんと。そういうのを話すのがとても恥ずかしい事だと思って、それと仕事は関係ないと言われると思っていたが、大変なのに何で言わなかったんだと言われてそして、自分もこうだったことがあると、部長は同じような問題について話してくれ、荷が下りて気が楽になった。

 

上司はその時、自分はお金に苦労をしたことがない人生だったから大変さは共感できないけど、と前置きをしてアドバイスをくれた。頑張ろうと。そしてそれ以降よく、「お前は目の前にいろんなカードがあるのに、毎回ジョーカーをチョイスするなあ」と言われた。多分、仕事でも若干ダメな彼氏のことでもそういう苦労を自ら選んでる、そう思ったんだろうなと思う。多分、頭がいいというのもあるから、なんでそっちを選ぶ?!という理解不能な部分があるのかなと思うが、どうだろう。

 

今思えば、本当にそうだな〜と思うし、相変わらずそういう面は変わっていない。結婚して、子供が産まれても頑張れるなら頑張る方を選択して、そして相変わらずお金には四苦八苦してる。

 

相変わらずしなくていい苦労をしてるなあ、と思っているだろうけど、それでも面白おかしくなんとか生きているよ、上司さん。

 

久しぶりに連絡を取ってみよう。