のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

振り返ればほっこりする思い出がいる

つらつらと書いてるコレもちょっと整理しようと非公開にしたりするのに見返して、ああ、こんなことあったな! にたくさん触れた。長男のアレコレ、次男のバブバブ。その当時はかわいかったり腹立ったり大変だったりで、一生忘れないんだろうなって思っていたのに、きれいに抜けていた。ぞっとする。加齢のせいか、日々の忙しさからか……。

時同じくして、寝る前に昔の動画を家族で見ることが多い。見ると、死んでしまった犬たちとわが子たちが何気なく一緒に映っていたり、喧嘩をすることもなく小さなわが子たちが団子のようにくっついていたり、ちょっとずつ喧嘩し始めたころだったり、それを見てげらげらと次男は笑い、長男は舌足らずな子供っぽい自分に恥ずかしくなったり。

この感情は言語化しにくい。心が穏やかになる、温まる、胸に響く、それらは言い過ぎのようなそうでもないような。

冷静にこういう風にいろんな思い出が重なっていっていくんだなと、しみじみとする。

だのに、この穏やかな心は、結局日常の大変さに埋もれて、余裕がなくなり怒るし不満にまみれる。人生ってやつは嗚呼嗚呼。

 

忙しいね、と友達と語らう。若さゆえの無謀をしてきた私の思い出も、振り返ると眩しさにあふれている。あの時はあの時で、人生に嘆いて、明日への不安ばかりあったのに。

何故、年配のおばちゃんたちが連れ立って旅行に行っているのか最近わかった。

子育てとか家のこととか落ち着いたら、そういうことをしたくなるんだと。だから立派なおばちゃんになったらハトのバスツアーとか気ままな列車旅をしようと誘った。その時はその時で今よりも重い(体とか寿命とか子供とか家のこととか)悩みを抱えていそうだけど、いいじゃないか。どうせいつだって、悩んで生きてる。

あー何も気にしないで旅行いきてー。

新生活は瞬く間にやってきた

昨年の11月くらいから多忙を極めてあれよあれよと3月。


チビ助だと思っていた長男は卒園、もっとチビ助だと思っていた次男は3歳児クラスへ。成長は著しく、ふたりの喧嘩も口喧嘩(手も出る)が混じってきた。仲良く遊ぶこと6割喧嘩4割というところだろうか。かくれんぼしたりするのが好きだから庭でやっているけどバレバレなら隠れ方の次男が愛くるしい。


卒園式というよりその前にいろいろ思い出していたことが感動のピーク。赤ちゃんの頃の写真やお制作物、最後の発表会の劇の模様。固まって泣いてたあの子が最後はしっかり踊って劇もこなした。はあ、あなおもしろし。


などと余裕ぶっこいていたら保育園は休園、あれよあれよと長期間待機して、4月。


少し早く小学校の帽子を被り、小学校の学童まで向かい、少し戸惑いつつ中に入ると長男のことを知ってる上の子が名前を呼んでいた。誰だかわからないがよろしく頼むよと心の中で声をかけて、新生活がスタート。


次男はもう一緒に兄が保育園に行けないことよりも、クラスのせんせいとはなれたくないんだよねー(薄々気がついてたけど担任の先生にめちゃくちゃ甘えていたのは間違いではないと確信)と言う。次男は自己主張が強い男だからあまり心配はしていない。嫌なことは嫌、好きなものは好き、はっきり言えることは素晴らしい。しょっちゅう怒られてもめげないし。そのメンタルが母は羨ましい。

方や、長男も意見は言えるようになっているから、次男に負けずに自分をもって過ごしてもらえたらいいなあと学童に送った帰り道、傘を少し揺らしながら歩いて、思った。


卒園した方、新生活の方、それぞれ家族もゆっくり慣れていけたらいいね。


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9年勤めた会社からの旅立ち

てんてこ舞いな日々を過ごして、気が付けば新しい会社での試用期間もあと少し。前の業種とは全く違う、部署も違う、新しいことへのチャレンジという意欲と緊張にまみれて過ごしたこの数か月間は、新型ウィルスのことも私生活のこともたくさんの変革

の時期でほとんど余裕がない数か月だった。前の会社を懐かしむ余裕もなく、慣れること、やることをやれ、とひたすら自分に言い続けた日々。余裕がなさ過ぎて自分の好きな推しに萌える(古)こともなくてこれはやべえなあと思っているも、ただただ今は邁進するのみと思って過ごした。持ち帰ってきた書類、本、などを整理も先日ようやくできた。


2011年の年に人からの紹介で転職して入った会社で、この時も異業種からの転職。30歳で未知の編集業。たくさん失敗して、たくさん怒られて、たくさん走って汗をかいて、たくさん同僚と励ましあって、たくさん愚痴りあった。


本当に学んだことが多くて、何よりも厳しいけど温かい社長と先輩と同僚たちとに囲まれ、本当に知らない世界をたくさん見ることができた。審美眼が磨かれるはずが、その辺はあんまり変わってない気がするけど。


初めて取材にいったときのことは今でも覚えているし、全然仕事ができなくて泣き言を言いながら会社に残ってピザを食べたりして、自宅に帰ってやるぞと意気込むも机の上で寝落ちして、絶望の気持ちで朝を迎えたりしたこともあった。提出したものはさんざんなもので、ダメ出しの嵐。四苦八苦しながら出来上がったものの喜びは、今までに経験したことのない喜びだった。


本当にたくさん怒られたし、呆れられたりもした。ヤバいミスもした。ヤバいミスが発覚したと時はいつも、怒りつつも、このミスを発見できなかったのは全て自分社長の責任だから、今後はみんなが気をつけるように。と勤めて冷静に言い、守ってくれた。ピンチの時こそ厳しくも優しさの極地で、ミスしたどん底の気持ちの中でも、ここにいたいと思って、踏ん張った気がする。


下請けのくやしさもたくさん味わった。なにくそ、という思いをもって、笑ってのらりくらりやり過ごした。人というのはここまで非道なのか、と思うこともあって、こういう人間にはなるまい、そう心に強く誓ったもんだった。


出産を機に内勤だけになって、みんなが働きやすい環境にできるようなんでもやろうと思った。そこであらたに自分がやりたい道を少し見つけるチャンスがあったことは今後の人生においてもかなり重要だったように思う。まだ結果は出せてないけど、長い目で見て、やりましたよ!って、仲間たちに報告ができるようにやるんだ、って思っている。


やめてからもライングループは定期的に音が鳴る。あれがこうだ、ああだと、昔のように。

寂しい気持ちはあるけれども、ようやく少し落ち着いてそんな日々を懐かしむ。自粛が終わればまた杯を重ねて近況報告して、元気であることを喜び合いたいなあ。

 

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捨てられずにいるノートたち