のらりくらり日常日記

雑記。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

骨折記録 1(妊娠後期)

妊娠8カ月の最後の週、人生初、左足の甲の外側あたりを骨折。時は日曜日の夕方過ぎたころ、友達が遊びにきて息子たちは外でストライダーやらボール遊び中だった。

そんな時、砂利道のちょっとした段差につまずいて、とっさにお尻とお腹をぶつけてはと左足に思い切り体重をかけて捻った。多分。焦って必死だったからどうやって転んだか覚えてない。

みんな焦ってやってきて、息子は変な顔していた。お母さんが急に無様に転んだからだろうか。

痛くてしばらく起き上がれなかった。できればネイマールぐらいゴロゴロしたかった。砂利道と人の目で我慢した。ちょうどその時仕事から旦那氏が帰ってきて、地面に転がってる私を見てドン引きしてた。

とりあえず起き上がってお腹も無事、いやびっくりしたねなんて話していて数分、痛い。ひょこひょこしながら歩いて、友達を見送り部屋に戻って、アイシングしようと見ると、異常に膨らんでる。触ると痛い。なんならズキズキ脈打って、居ても立っても居られない。

捻挫の経験は何度かあるが、捻挫はこんなに腫れなかったと思う。そして痛くて痛くて、あのいぼ痔を切った時のように痛い。

夜間救急の整形外科に電話した。妊娠後期であること、一時間前に転んだこと、腫れてること、それでも見てもらえるのかを確認。

手術を控えているから、急いできたらすぐ診るというので車で向かう...のにも歩けない。痛い。おんぶも不可能、なんとか身体を支えてもらい、病院では車椅子を借りて院内へ。

先生は患部を見て、折れてるかもね。と、一言。妊娠対応のレントゲンを支持して放射線科へ。妊娠中は鉛入りのベストを着て、レントゲンを撮ると放射線を防げるらしい。知らなかった。

結果折れていた。骨のところに薄いグレーの線がスッと、入ってた。それはそれは綺麗に。

頭を抱えた。旦那氏はいま多忙で育児関連のフォローは不可能、仕事の引き継ぎおわってない、なにより、再来週の大井川鐵道旅行。

ギブスはなし。
妊娠中につき湿布&投薬も不可。
ただ冷やして安静にして自然治癒を待つ。
歩き方はペンギンのように。
仕事は行けるなら頑張って。
旅行も行けるなら頑張って。
足を高くして寝て。
二週間で筋肉?細胞?が入れ替わるから、腫れもそれくらいで引くはず。

先生からそう言われ死んだ目の魚のようになりながら帰宅。

骨折0日目、その日の夜は痛さと情けなさとショックとで寝られず。

骨折1日目の翌日、一部ボコッとした腫れから全体的な腫れと内出血。家の中は杖代わりに傘で移動。息子には、お母さんは怪我をして歩けないからおじいちゃんと一緒に保育園行ってね、とダメ元で話す。

理解してくれ、すんなり保育園に。ありがたい。

杖をおじいちゃんおばあちゃんに買ってきてもらう予定。1日目は休んで、杖で歩けるかを試して2日目から仕事に行けたら行くことにする。

なによりお腹も無事だし、よかった。とりあえずはなんとかもろもろこなして、カルシウムをとって、快復を待つのみ。希望は、同居しているおじいちゃんおばあちゃんがいてくること。もはや頼めることは頼むしかない。イヤイヤ期がひどいからこの高齢者コンビでは厳しいところがあるが、なんとか家族の協力を仰ぐようにする。不注意の極み、反省と情けなさとで気分も落ちる。

後悔しても後の祭り、医療保険だけじゃなく、傷害保険も入っておくべきだったなあ。