のらりくらり日常日記

子育て記録、すきなもの、日記、思い出など。ただただ何の役にもたたないことを書くだけ。

強く優しかったおばあちゃん

私のおばあちゃんは大正生まれ。第二次大戦中は、満州から日本へ帰国した。当時のエピソードはどの小説よりも深く重いもので、一緒に住んでいたので日々よく聞かされていた。

そんなおばあちゃんは、とにかく強かった。

何よりも正しいことをするように私を指導し、一方で戦中育ちとは思えないほど中庸的な考えをする人だった。当時珍しいであろう、大学にも通い、会社勤めをして、私の母やおじさんを育てていた。また、銀座が好きで、よくデパートに連れて行ってくれた。化粧や身だしなみにこだわり、淡谷のり子ばりの髪色に変えたり“ハイカラ”なおばあちゃん。

私はよく、おばあちゃんに怒られた。

夏休みの宿題の算数を電卓を使って計算をして叩かれた。

ピアノの練習がうまくいかず、手を叩かれ、ケンカになり、家出して大騒動になった。

学校に行きたくなく(伊集院の深夜ラジオを聞いていて眠かった)仮病をつかったところ、布団越しに叩かれた。

怒られた思い出は数えきれず。つくづく、ダメな子どもだった。おばあちゃんからしたら、なんてこの孫は手がかかるんだろう、と思っていたのではないだろうか。娘である、母よりも手がかかったと思う。「勉強し、大学に行け。自立するように」よくそういうようなことをいっていた。

小学生のころバブルがはじけその後も景気は悪く、例にも漏れずわが家も困窮。そのような状況でも「大学には行け」そう言っていた。やりたいことがなければ、行く意味はないと思っていたが、運良く私には大学に行きやりたい職業につく目標があった。それでも勉強スタートしたのは高校2年生の春からという遅いスタートだった。

通っていた塾で、すごく尊敬する教授の授業で人生観が変わって、滑り止めでその教授の大学を受けることにした。いよいよ受験のシーズン。第一志望〜第三志望の試験の週、重い風邪をひいた。ぜんそくの発作もでていた。おばあちゃんは、絶望していた顔をしていた。だが、「がんばれ!」そういって、受験当日は私の好きなお弁当を用意してくれた。試験を終えて帰宅すると、私が大好きなしゃぶしゃぶを用意してくれていた。

合格発表の日は全て具合が悪かったので、おばあちゃんが見に行ってくれた(母が行くと落ちるというジンクスがあった)。滑り止めの大学だけ、合格。泣いて喜んでいた。

 

それから数週間後、おばあちゃんはお風呂で倒れ、そのまま数日経って旅立ってしまった。倒れる前日私は友達の家に泊まり、夜帰宅。最後の会話は、お風呂に入る前。「ただいま、ご飯はなに?」。後日、「末の孫がやっと大学には入れた。嬉しい」といろんな知り合いに連絡していたと聞いた。泣いた。何もかも急すぎて、沢山泣いて、後悔ばかり沢山してた。

それから大学にも慣れた数ヶ月後、風邪を引いて寝込んでいた。その時に見た夢。おばあちゃんが部屋をノックし、部屋に入って、昔のようにおでこに冷たいしわしわの分厚い手を当ててくれ、出て行った。起きて、また泣いた。それからしばらくは、何かあると夢に出て来ていた。夢の中ではおばあちゃんは“生きている”という認識だった。自分の願望だったのだろうが、それでも癒されていた。

それから数年経ったあるとき、また夢に。家の台所に居て、裏の勝手口からおばあちゃんとさらにその当時死んだばかりの犬も一緒に入ってきた。その時は“もうおばあちゃんはいない”、そういう意識に変わっていた。「もう、大丈夫だよ。私」そう声をかけた。おばあちゃんの表情は笑っていたかホッとしていたかわからない。そして、裏口からどこかに行ってしまった、そんな夢。

“母”となった今、おばあちゃんのように厳しさと優しさを兼ね備えた“人間”になりたいが、一朝一夕ではいかないということを、日々日々痛感している。

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」